劇団浪漫狂
1992年中村隆天が、母体である『劇団 浪漫狂時代』を旗揚げし
「愛と浪漫と笑いの小劇場」をコンセプトに
2回、春・秋公演を開催。
1998
年までの6年間で延べ1万人の観客を動員。

その後、各々が他媒体へのプロモーション活動に専念。
これに伴い『劇団浪漫狂時代』は充電期間へ。


1999年夏、中村自身の活動と合わせて若手メンバーを集結させ『劇団浪漫狂ちゃんねる』を旗揚げ。
1回のワークショップと年2回の春・秋公演を中心に、劇団員個々のプロモーションも行い、
活躍の場を映画・
Vシネマなど、映像にも拡大。

2004年、通算第20回目の公演を迎えられたことを機に劇団名を『浪漫狂』と改名。
この年より
株式会社ゼロ・レインジエンターテイメントのバックアップを得、
益々メディアへと進出ていきました。

そして2005年春、TBSラジオ主催にて銀座博品館劇場での公演を実現。

2005年冬、劇団員全員がゼロ・レインジエンターテイメントに所属。

2006年、中村隆天が映像の仕事で忙しくなってきた事をきっかけに
これまで副座長として劇団員やワークショップを支えてきた 永山てつお が
『浪漫狂NEO』を立ち上げる。監修に 中村隆天 を迎え、2007年2月旗揚げ公演。

同年10月の公演をもって、惜しまれつつも劇団を引退した 永山てつお に代わって
2008年、やはり陰になり日向になり劇団を支えてきた 石本敏之 が劇団を背負い
同年春は六本木俳優座劇場での公演を。またやる気溢れる若手に花を持たせた秋公演を行い、
興行として成功を収めた。

2010年 3年間の「浪漫狂NEO」の活動から改めて 新生【劇団 浪漫狂】へと改名。
2012年4月、劇団創設20周年記念公演にて、紀伊國屋ホール進出!
2013年5月、シアターサンモール公演では、1500人を動員。
2014年4月 2回目の紀伊國屋ホール公演では、1800人動員を達成。

脚本や演出にも新風を取り入れ、舞台だけでなく、映像でも活躍できる人材を育てていきます。



劇団名の由来
「夢を見ることすら夢に終わるこの時代に、全ての人が浪漫に狂える選択肢を」